寂しさのワケ

一歳半になる甥っ子が可愛すぎてたまらない。

しかし、可愛すぎるが故に寂しさを覚えることがある。

どんなときに寂しくなるのか。

それはズバリ「成長していることを実感したとき」だ。

なぜ喜んでやれないんだと思われるだろう。もちろん嬉しい気持ちがないわけではない。むしろ成長過程を振り返ったりしては、その都度めちゃくちゃ感動している。自分でもなぜ寂しく思うのか、不思議でならない。

ちなみに一歳半といえば、「あちこち動き回るが、まだ喋ることはできない」という時期。オノマトペをかろうじて口にするくらいだ。

つまりは、めちゃくちゃ可愛い時期ということである。甥っ子は、動物を全て「ワンワン」、車は全て「ガッガ」と呼ぶ。

しかし、甥っ子のことを可愛いと思うのは一歳半だからという理由ではない。これまでも同じように可愛いかった。

子守をしているとよく思う。「今が一番可愛いだろうな」と。

半年くらいの頃は「一人で動き回るようになる日が来たら寂しいな」と思ったし、一歳くらいの頃は「喋れるようになったら寂しいな」と思った。

ところが、いざそのときを迎えると、そんな懸念はどこかに吹き飛んでいる。

一人で歩き回るようになったときも、そのときが一番可愛いと思っていたし、テレビに映る動物を指差して「ワンワン!」と言うようになった今も、結局今が一番可愛いと思っている。

最近は普通の車を「ブッブ」と呼ぶようになった。「ガッガ」は作業用の車にのみ適用される。また、この間スーパーの前で繋がれている犬を見て「ニャンニャン」と言っていた。YouTubeで犬を見ているときはちゃんとワンワンと呼べているので、「映像の犬は『ワンワン』、実物の犬は『ニャンニャン』と識別しているのでは」という見解が生まれた。

いずれ生意気な口をきいたり、大人の発想にないような悪さをしたりして手に負えなくなり、可愛いだけじゃやっていけない時期がくるだろう。

俺は親ではないから、ある程度の距離感を保ちながらずっと可愛いと言っていられるが、それでも今の接し方をいつまでも続けられるわけではない。

甥っ子が大きくなったら、俺はどんな接し方をするのだろう。

どれだけ時間が経とうと甥っ子を可愛いと思う気持ちがなくなることはないけれど、中学生とかになったら当然抱っこなんかできないし、赤ちゃん言葉で話しかけることもできない。

いつまで赤ちゃん言葉で話しかけられるだろう。抱っこできるのはいつまでだろう。

きっとそんな時期もあっという間に過ぎていく。

そんなことに気づき始めてからは、甥っ子と一緒にいる時間は一瞬も無駄にできないと思うようになった。

遊んであげられるうちに思う存分遊んでおこう、赤ちゃん言葉も使えるうちにたくさん使っておこうと、かなり強く意識するようになった。

甥っ子が起きている限りは遊びまくる。「ガッガ!」と言われたら一緒に「ガッガだね~」と言って、「ワンワン!」と言われたら俺も一緒に「ワンワンだね~」と言う。

どんな小さな仕草も胸に焼き付けるため、心のシャッターはもうエンドレス長押しモード。

とはいえ、俺の脳みそはガラクタ同然だ。そんなことをしても可愛い可愛いのオンパレードなので、すぐストレージがいっぱいになってしまう。

なぜ思い出は頭で記憶するだけだとぼやけていくのだろう。iPhoneとデジカメのほうはとっくに空き容量が無くなってしまった。

もし、今どこかのエスパーに「超能力を使えるようにしてやろう。好きな能力を選べ」と言われたら、真っ先に「どんな些細なことも忘れない記憶力と、それを鮮明に思い出せる能力が欲しい」と答える。(ちゃっかりふたつもおねだり)

デジカメはメモリーカードを買えば済む

どんな些細な瞬間も逃したくない。たとえそれが徒労に終わっても、俺は心のシャッターを全力で押し続ける。一瞬の間だけでも記憶しておけるように、これからも脳みそをフル稼働させる。

だからすくすく育っておくれよ!俺のことなんか構わずに!

最後に、ここまで読んでくれてありがとう。まるで親になった人が書いているような文章になってしまったが、俺は単なる叔父だ。笑わないでおくれ。

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