「老いを感じる時」

人間は日々老いていく。ここ最近の自分といったら腰が痛いのが通常になってきた。もともと姿勢が異常に悪いということから、腰痛の悩みは中学生の頃から抱えていたのだが、どうやら痛みが引くことはなくなったらしい。

老いとは顔にシワが入ることではなく、心にシワが入ることだとかなんとかというのは昔からよく言われることであるが、心にシワが入っているって一体どういう状態のことを指すんだろうか。

「頑固」「小言を言う」「寛容的じゃない」「自分の年齢を悲観する」一般的なイメージといえばこんな感じだろうか。これが俗に言う心にシワが入っている状態?

「心が若かったら年齢なんて関係ないよ!」って俺も言われたことあるかないか忘れたけど、あんまり納得できないんだよな、その考え。ただの性格の問題じゃないのか?心に若いもクソもない。

とにかく、不明瞭だ。どれだけ漠然とした考えなんだろう。心の在り方っていうのは色々あって然るべきであって、寛容的じゃないのはそっちだろうと言いたくなる。それってたとえ相手が20だろうと18だろうと頑固だったり悲観的だったりすればみんな老人とされるわけでしょ。トンデモない。18はどう考えても若者である。そりゃ確かに可愛げという点で人より劣っているのかもしれないが、性格で若いだの老けてるだの勝手に決めつけられる筋合いはない。老いの定義づけに置き換えられてるだけで差別してるのと一緒ってことに気づいてない辺り、頭の悪さを露呈している。

話がだいぶ飛躍している気もするが、要するに俺にとっての老いの概念とは「年齢を重ねるとともに表れる肉体的なガタ」でしかないという話だ。

冒頭に腰が痛いと述べたように、確実に自分の肉体にもガタが来ている。その他にも俺は20代前半から歌や会話など、あらゆる声を録音するというあまり一般的でない生活を送ってきたことから、普通では気付きにくい声の老いにも気付いてしまった。余計な気付きだ。過去の音源は聴くもんじゃないな。

このように、人それぞれ独自に感じとる老いというのもあり、そのシチュエーションも様々あると思うが、俺には前述の自分の声を聞くというシチュエーション以外にも、強烈な老いを感じた極めて重大な出来事があった。

それは31の冬、阿佐ヶ谷のパール商店街で昼飯を食べた帰りに起こった。俺は自転車に乗りながら脱糞をしたのだ。今32だからそれほど前の話ではない。

31で脱糞かと思った人に言っておくが、俺にとって脱糞はそんなに珍しいことではない。脱糞といったら大仰か。ちょい漏れくらいなら毎年1回は必ずしてる気がする。俺が伝えたいのはそんなショボい話ではない。

実は飯を食べて席を立った瞬間から便意は催していたのだが、家も近いし帰ってからでいいかと思って店のトイレには行かずそのまま会計して家路につくことを選択していたのだが、これが運の尽きだった。なんてことない便意だったはずなのに、自転車置き場に着いた時、俺の腸が意気衝天と暴れ始めた。そう、下しているやつじゃなくて、超が何個もつくような健康的な便意。身動きが取れない。自転車の鍵のダイヤルすら回せず、解錠するのにものすごい時間がかかった。

それからはもう自転車に乗ろうにもサドルはいつもの3兆倍くらい鋭く感じるし、そもそも足を動かすこともままならないので跨がることができない。仕方なく自転車を押しながら歩いて帰ることにした。時間はかかるかもしれないが、肛門に加わる圧力と時間を天秤にかけた時、今の自分が勝てるのは他ならない後者であると判断したのであった。この判断は賢明である、そう信じて止まなかった。

しかし、その希望も数分後には呆気なく崩れ去ることになる。

歩けど歩けど家に着かない。なんでだ。いつも通っている道なのに、いつも通っている道と思えない。一体ここはどこなんだ。タイムスリップでもしてしまったのか。焦燥感が胸をかき乱す。

おいおっさん、ジロジロ見てんじゃねえ。お前に見られなくても、俺の歩き方がおかしいのは俺が1番分かってるんだよ。俺の歩き方もそうだけど、お前の七三分けもなかなかだぞ。もう毛髪のことは諦めろ。

おい!そこの子供!俺の横をはしゃいで駆けていくな。その甲高い笑い声、腸に響くじゃねーか。俊足なのは見てとれるが、お前が生み出すその微風が俺のケツを何とも言えないチカラ加減で撫でていきやがる。何じゃその何の役にも立たん能力。お前の顔面に糞をブッ放すことになっても知らねーぞ。

すれ違う人みんなが俺の糞道を邪魔をしてくるように思える。ママチャリに乗った主婦、手押し車の婆さん、そういえば前ここでゆにばーすの川瀬名人とすれ違ったな。今日はすれ違わない。もしうんこしたいんですけどって言ったらどんなツッコミされるだろう。

そんなことを考えている間に、気付けば俺は本当に道を間違えてしまっていた。

「もうダメだ、自転車に乗ろう」そこで俺は作戦を切り替ることにした。

その瞬間、それまでの時間は何だったんだ、お前はどこまで要領が悪いんだと、劣等感の悪魔がでっかいフォークで俺の心臓を突いてきたが、それどころではなかった俺は、それを即座にはねのけた。

「ええい!!」

心でそう叫び、決死の覚悟で自転車に跨った。奇跡的にペダルに両足をかけることができた。胸を撫で下ろした俺は、そこから肛門に一寸の刺激も加えないように常時立ち漕ぎのスタイルをとることを選んだ。

ひと漕ぎしては休み、ひと漕ぎしては休みを繰り返す。休んでいる間は何もしなくとも数十メートルは移動できる。「ひと漕ぎ」が壮絶な山越えのようだったが、それさえクリアすればあとは動かずともとりあえずはいくらか移動できるわけだから、こんな効率的なことはない。この調子なら家まで何事もなく帰れる。もう安心だ。

俺は気が緩み始めていた。

「気の緩み、それはすなわち肛門の緩みである」

過去にそんなことを言った人がいるのかいないのかは知らないが、効率的な移動方法を得たと思った途端、俺の中に宿る戦慄の糞どもが、俺のナメクジみたいに縮こまってしまった肛門をノックしてきた。それまで生きてきて感じたことのない感覚だった。今振り返ると、あれは糞界のヤクザだったんじゃないかと思う。借金取りに家の扉をノックされたときとか同じ感じがするんだろうな。

俺の肛門が必死に糞を堰き止めていた。決壊をギリギリまで食い止めようとしていた。が、無理だった。俺は糞を漏らした。ある程度の諦めと悲哀の念をもって。

長々書いたが、老いを感じたのは実はここからなのである。

そのとき俺は「ひと漏らし」すれば終わりだという想定をしていた。

それが、ひと漏らしせど、ふた漏らしせど、み漏らしせど、一向に糞が止まることがない。

何故だ!とめどなく流れる俺の糞。そういえば最近糞をしていなかった。だからこんなに大量なのか。焼かれる前のハンバーグの様な感触が下半身をつたっていくのがわかる。これもまた初めての感覚だ。俺の肛門は死んだのかもしれない。「漏らし」はある程度操作できるものと思っていた俺を、恐怖とか孤独とかがごちゃごちゃに混ぜ合わさったような何かが襲いかかる。

そして、とうとう全てを出し切ってしまった。これはもう漏らしたとは言わない。「漏らす」という過誤の成立には、いくらか量を残してやらなければならないという暗黙の前提が必要である。これでは便所でやるような「排便」をチャリンコで移動しながら行なっているだけだ。こんなことになろうとは俺は絶望的な老いを感じた。イヤホンからはゆらゆら帝国が流れていた。

「ボクサーパンツはオムツの役割をしてくれるだろうか」「俺のパンツにサイドギャザー生えてくれないかな」ワケの分からん疑問や願望を抱きながら、糞がズボンの裾からボトッと落ちてこないことだけを祈った。通行人に見られたらたまったもんじゃない。この状況においてもなお恥から逃れようとする俺は、まだまだ老いていないのかもしれない。この思考回路もまたワケが分からなかった。

昔はこんな漏らし方しなかった。だいたいが、漏らすときというのは大抵、軟便である。お腹を下している時にちょっとケツに力が入った時とか。それが、普通の糞ときた。これ、人によってはショックすぎて切腹するんじゃないか。そのくらい衝撃的な出来事だった。ハッキリ言って漏らすことなんて誰にでもある。しかもそれはしょっちゅう起こることだとニラんでいる。だが、こればっかりは

それまで1番変わった漏らしを振り返ってみてもそんなに印象に残るようなものはなかった。漏らしはただの漏らしであって、そこに印象などという付加価値はない。強いて言うなら、ハタチくらいのときに単車に乗りながら漏らしたやつくらいだ。スピード出したら糞も出たやつ。ちょっとだけね。信号待ちしてる時に「革ジャンでサングラスの単車乗りが横で糞を漏らしているなんて、どこの誰が思うだろう」と思った記憶がある。その後すぐに当時付き合ってた彼女に電話で報告したら「普通に喋っとるけどめっちゃ引かれるけん絶対ヨソで言わん方がええよ」って言われた。

話には続きがある。帰宅後、とりあえずトイレに駆け込んだが、もう全て出し切っているので何もやることがない。ケツを綺麗にするっつっても、ちまちま拭くよりシャワーを浴びた方がよっぽど合理的だ。それにも相当な情けなさを感じたが、もっと惨めだったのが、パンツを処理する時だ。何と言っても大量の排便をしてしまったのだから、パンツに糞が付着しているどころの騒ぎではない。パンツに糞が「収まっている」と言った方が表現としては適切である。それを処理するわけだから相当苦労した。大半の人がそのままゴミ袋に包んで捨てるという手段を取るのだろうが、俺は糞を捨てられる分だけ便所に捨て、残りをシャワーで流した。確か買ったばっかのパンツだったからという理由があったからだと思う。洗ってる途中、そこまでしてパンツを大事にする自分に対して懐疑心が湧いた。買えよ。新しいの。

排水口に流れていく糞を見ていると、俺の生気まで流されているように思えて、余計に老いを感じた。みんなはどんなことで老いを感じるんだろう。

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